2016年07月18日

アナウンスの基本

先日、単発の講座でアナウンスの基本を勉強する機会がありました。
聖書朗読や教会での結婚式の司会、また公演でのアナウンスなど
頼まれることもあり、ちゃんとブラッシュアップしておきたい・・・
という気持があったので、思い切って受講してみました。

いや〜面白かったです!
参加者は中学生からプロで仕事をされている方まで多種多様。
人の読みを聞いていると客観的によく判る。
講師の先生の指摘はもちろん個人のレベルに合わせてでしたが
具体的なダメ出しをバシバシ貰えてありがたかったです。
ためになる気づきがたくさんありました。
そして声(というか喋り)にはその人の人柄がありありとにじみ出ます。
いろいろな声質の人がいて、みんなそれぞれ良さがあった。
グループレッスンの面白さを感じましたね。
ちょっとスクールにも通ってみようかな・・・と真面目に検討中です。

ちなみに勧めてくれたのは朗読を続けているうちの母。
母は今年も秋に朗読仲間の方々と
小さな発表会を企画していて現在鋭意リハーサル中。
案外、楽しみに毎回聴きに来て下さる方々もいて
朗読は人気だなーと思います。特に女性が多い。
私もスタッフとして参加するので、楽しみたいと思っています。
posted by masako at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 学びの途中

2016年07月11日

ブルックリン

先日、映画館で「ブルックリン」を見てきました。
私にとっては「つぐない」の名子役だった、
シアーシャ・ローナンの存在感がピカイチの作品です。

ロクな仕事にもありつけず、未来に希望が持てない
アイルランドの故郷での生活に見切りをつけ
単身アメリカに渡るエイリシュ。
それは、妹思いの優しく美しい姉・ローズが
教会の神父様のツテを頼って
住む場所も、仕事も見つけてくれたから
実現したものでした。
離れてからも姉妹は頻繁に手紙をやり取りし
お互いを思いやります。
おそらく姉は、自分も本当は
広い世界に出てみたかったのでしょう。
それをエイリシュに託したのではないかと。

エイリシュはブルックリンにある賄い付きの女子寮に住み、
昼間はデパートで働き始めました。
しかしいきなり極度のホームシックに掛かり、
カフェでは訛りをからかわれ、
故郷を思い出して泣いてばかりで
接客中なのに笑顔も作れない。

そんな彼女を見かねて神父様が
夜間に簿記を学ぶことを薦めてくれます。
通ってみたら、案外授業は楽しいし学ぶ喜びもある。
エイリシュはめきめきと頭角を現していきます。
デパートの同僚や上司、女子寮の先輩達も
実はみんな親切で優しいし(おまけに美人ばかり!)、
エイリシュは周囲に助けられて
新天地での生活になじんでいきます。

そしてダンスパーティーで声を掛けてきた
イタリア系の移民、配管工のトニーとつき合い始めます。
トニーも単なるチャラ男かと思いきやまじめに仕事もしているし
彼の両親や兄弟も仲良し。将来の夢や展望もある。

恋人ができてからのエイリシュの表情は
まさしく「内面からにじみ出る輝き」にあふれ、
ナチュラルな笑顔が本当に素敵でした。
シアーシャ・ローナン、アカデミー賞の
主演女優賞にノミネートされていたんですよね。
「ルーム」を見ていないので何とも言えませんが、
まあ、彼女がオスカーを手にするのも時間の問題でしょうね。

ここからネタバレします。










総合評価としては「良かった」映画なのですが、
「清々しさ」を感じたと同時に思い切り「物足りなさ」も感じました。

移民として生きる選択をした女性の強さを描きたかったのだとすれば
かつてのアルバイト先の意地悪な商店主、ミス・ケリーの脅しで目が覚めて
ブルックリンに帰ることを決意した(ように見える)のはちょっと興ざめ。
本当は、トニーからの手紙で決意してほしかったのだけど
肝心のトニーとの恋愛も、初期のホットな時期に勢いで結婚した感があって
あまり深いものには思えず。

いわんや、アイルランドに帰ってから既婚であることを隠して
御曹司のジムとつきあい始めるくだりは棚ボタというか都合が良すぎる話で、
エイリシュに愛情があるようにはとても見えなかったのです。

ただ、シアーシャ・ローナン演じるエイシリュの瑞々しい表情の変化、
アイルランドカラーを意識したカラフルな衣装の着こなし、
少しぽっちゃりとしたボディラインもむしろ品があってチャーミングで
とても嵌り役だったと思います。
50年代のアメリカを随所に感じさせる映像もとても美しく、
映画館のスクリーンで見る価値はアリ。


ラストシーン、ブルックリンの街角で再会し
笑顔で抱き合うトニーとエイリシュ。
本当は、ここから始まる2人のストーリーを見たかった!
posted by masako at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 見てきました。

2016年07月08日

屋根の上の猫さん

昨日、通りを歩いていて
フト視線を感じると
民家の屋根の上に三毛猫が。
立ち去り際のカメラ目線をキャッチ。

160707_1850~01.jpg

posted by masako at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年07月06日

出張してくれる。

しつこいようですがまたベガの話。

違和感、喪失感は相変わらずですが
自分としては「いるんだけど、見えない」という理解です。
エア猫だけに。

何かの瞬間にふっと涙ぐむことはまだあるけれど
幸いなことに仕事は相変わらず忙しく、
どんどん片付けないとどうしようもないので
表面的には以前と変わらない生活を送っています。

ただ、無意識の奥底にダメージが
入ってしまったのは確かなので・・・
壊れないように防衛本能が働いているんだろうな、
とは感じるところ。

さて、今回のタイトルの意味するところは、
ペットの葬儀についてです。
最初は実家の敷地内に土葬しようと思っていたのですが
土を掘ってみたらすぐ配管にあたって
あまり深く掘れませんでした。
これではちょっと・・・と思い急遽火葬に変更。

ちなみにベガの前に飼っていた猫も火葬にして、
当時の玄関横の柿の木の根元に埋めてやりました。
その子は、その柿の木に登るのが大好きだったので。

その時(22年前)は確か火葬場まで連れて行って
お骨上げをして帰宅したような。
あるいはお骨だけ後で送って貰ったのか・・・
ちょっと記憶が定かではありません。

今は火葬車が出張もしてくれるのですね。
ネットで調べて依頼して、業者さんに来てもらいました。

ベガは最後の体重は1キロちょっとだったので
待ち時間は小一時間程度でした。
ちょうど夕方で、きれいな夕暮れ空に見守られつつ
彼女は天に昇ったようです。

母とふたりでお骨上げをしましたが、
あんなに痩せてガリガリだったのにベガの骨は結構太かった。
ちょっと標本みたいな感じでシッカリしていて、
色は真っ白でした。

そして今は生前よりもさらに小さくなって
実家のマリア様の御像の横で
ちょこんとおとなしくしています。

今月末に埋めて、土に帰してやる予定。
植栽をしたら、きれいな花が咲くかな。
posted by masako at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年07月05日

ペットサークルはスグレモノだった

ベガの話題を続けます。

とにかく粗相がひどくなって
部屋を毎日よごされてしまうので、
ケージに入れようか悩んでいました。
でも、あれはほとんど『檻』ですよね・・・
どうにも可哀想で断念していたのですが、
「ペットサークル」というスグレモノがあることに気づき
本当にぎりぎりになってしまったのですがネットで購入。
うちに届いたのは6月18日の土曜日の朝でした。

160618_1237~02[1].jpg 160618_1237~01[1].jpg
こんな感じで、柔らかいし軽いし
特大サイズを選んだので
中で私も一緒に寝転がれるほどです。
使わない時には畳めばコンパクトになります。
 
160618_1237~03[1].jpg
この時はまだ、自力で歩いてご飯を食べることができたベガ。
広さもあり、閉塞感もあまりないので安心した様子でした。

もう少し早く気づいてあげたら、
きっと私がいらいらするのも減っていたと思う。
ごめんね、ベガちゃん。
posted by masako at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) |

2016年07月04日

覚悟はしていたけれど、やっぱり、別れは突然でした。

あれからもう2週間が経ちます。

愛猫ベガは、2016年6月20日午前7時24分に
やすらかに天国に旅立ちました。
享年22歳、人間だったら100歳越えの大往生。
生後半年で拾ったので
私は彼女と21年半にわたって
生活を共にしてきました。

17日の金曜日の晩に仕事から戻ってみたら
ご飯を食べておらず、様子がおかしかったのです。
抱っこして撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らしますが
なんだか元気がありません。
翌朝、少しご飯は食べてくれたけれど
やっぱりクタッとしてしまう。
病院に電話して状況を説明し
連れて行って点滴を打ってもらいました。
この時の体重は、僅か1.14キロ。
その半月前は1.4キロだったので、
あまりの急激な減少はさすがにショックでした。

もう危ないかもしれないと思った私は
徒歩ですぐの距離にある実家にベガを連れて行きました。
亡くなる前日、日曜日の午後のことです。
ペットサークルの中に入れてやり、様子を見ていましたが
やはりぐったりして寝てばかりいます。
でも、スプーンですくって鼻先に流動食を持っていくと
私の手を噛みつかんばかりの勢いで食べてくれました。
そしてそうやって食べさせていたら、1袋を完食してくれたのです。
もしかしたら元気になってくれるかも・・・と
その時私は本気でそう思いました。

でも、翌20日の朝が来てしまいました。
前日の晩は実家の部屋で一緒に眠り、
翌朝6時過ぎにちょっと自宅に戻った数十分の間に
ベガは行ってしまったのです。
月曜日の朝だったから、仕事に差し支えないように
就業前にと気を使ってくれたのでしょうか。
私がショックを受けないように、出掛けるのを見計らったのでしょうか。
「ちょっと行ってくるからいい子にしていてね」と
いつものように声を掛けて撫でてやったのが最後の別れでした。

幸い、母が傍についていてくれたので
最期の様子は聞くことができました。
とつぜん四肢をきゅうーーーっと伸ばして
首をゆっくりと反らした後に
頭がかくんと落ちて
フッと静かに息を引き取ったそうです。
苦しむことはなかったので、老衰だったと思います。

3年前のクリスマス頃から、もう年齢的に
何があってもおかしくないとずっと言われながら
2年半頑張り続けてくれたベガ。
ここ1年程は老化の進みがさらに早まり、
攻撃的になってひどく噛みつかれたり、
グルーミングをしなくなったり、
排泄のたびに粗相を繰り返したり、
問題行動がどんどん重なって
私も頭にきてベガを責めたり叩いてしまったり。
あの子を責めるべきではなかったな、と今は思います。
自分の心に余裕がなかったことが原因だったのに。

それでもベガは毎日ご飯を催促し、
よく食べてくれたし、お薬もちゃんと飲んでくれた。
私の帰りが遅いと不安だったようで部屋が散らかっていて、
帰宅すると安心した顔で出迎えてくれた。

毎月の病院通いや毎日の投薬、朝昼晩の給餌、
そして日に何度も汚れた床を掃除し、洗濯をし、
傲慢にも私は彼女の「面倒を見てやってる」と思っていました。
ところが、ベガがいなくなった今、私はイヤというほど
思い知らされることになりました。
実は、私の方がベガに支えられていたんだと・・・。
はかりしれない喪失感の中で、
私は一人きりの部屋で
こみあげてくる嗚咽を押さえきれませんでした。

でも、それでも生活は続く。

22年ぶりにリアル猫がいない生活が始まり
なんだか違和感が消えませんが
ベガの世話をしていたはずの時間に
さらに仕事をしてしまうので
忙しさが何ら緩和されないことだけはよく判りました。

一方、いまや時間と空間の制約から解放されたベガは
身軽なエア猫になり、どこに行くにもついてきて
私の周りを元気に飛び跳ねています(たぶん)。

しばらくはあえてこの違和感と向き合って
今までスルーしてきたこともちゃんと見つめながら
自分の人生を考えたいとおもっています。
ベガが、私にそういう時間をくれたんだと思う。

だから、もう少し、猫についての考察は
ブログでも続く予定です。
posted by masako at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年05月15日

本日も老猫はマイペース

彼女は本日も食欲旺盛。よく食べる。
そして予想外の行動に出る。
(猫にとってはむしろそれは当たり前かもしれないが…)

先日はソファーの後ろに入り込み、
出られなくなって何を焦ったのか
ソファーをがぶがぶと齧り(布製なので)、
さらに身動きが取れなくなってしまっていた。
すぐに気がついて外したから良かったものの
それからすぐにソファーを壁から遠ざけたのは
もちろん言うまでもない。

かと思うとテーブルの下でわざわざ粗相をしてみたり。
これも、クッションを使って障害物を設置。
ペットシーツもトレンドに従って
枚数や置き方を調整している。
お気に入りが日々、変化するのである。

そんなわけで私はここのところ
毎日何かしら部屋のレイアウトを変えている。
それはそれで面白いような、
面白いと思わなければやっていけないような。

生きることはひたすら新陳代謝の繰り返し。

淀まないようにしよう。
posted by masako at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年05月04日

老猫と暮らすということ。

いつの間にか柏餅のシーズンになりました。
個人的にはダントツでみそ餡が好きです。
どうしてみそ餡は美味しいと思われない傾向があるのか不思議。
そして通常、こしやつぶよりも遅く始まって早く終了してしまう(泣)。
それでも今年はほぼ同時のスタートだったので
いつもよりは長めにみそ餡の柏餅を楽しむことができます。
ああ、明日も買わなきゃ、だ。

我が家のベガ(猫)は今春22歳になりました。
野良出身なので生年月日不詳ですが、推定平成6年の春猫です。
しかし…人間に換算すると軽く100歳超え。
それゆえ、今までとは違う現象が様々起きてきます。

★体重が減少してくる
新陳代謝の機能が低下してくるせいなのか、
食べても食べても痩せてきます。
ちなみに食欲旺盛なのもおそらく
「甲状腺機能亢進症」の一症状。
10年前は肥満に悩んでいたベガも
体重3キロを切ってからは全く回復せず減少の一途です。
現状で1.6キロ(!)。
ガリガリなので、背骨がやたらゴツゴツしていて痛そう。
「骨と皮」という表現がぴったりでちょっと辛い。

★筋力が低下してくる
猫と言えば思い浮かべるのは(ストレッチもしないというのに)
しなやかなボディと身のこなしの軽さではないでしょうか。
そして抜群のジャンプ力とバランスの良さですよね。
これがさすがに、加齢とともに失われてきます。
ベガはもうソファも自力では上がるのは難しく、
しかもバランスを崩して落ちたりするため
うっかり上がってしまっても即座に下ろします。
はじめて足を踏み外してソファーから落ちた時、
もちろん私もビックリしたのですが
本人もさすがにショックな表情をしていたような…

★グルーミングをしなくなる
筋力が衰えることとも関連するのでしょうが
だんだん面倒くさくなるらしく身づくろいをしなくなります。
だからご飯の後に拭ってやらないとにおいが残ってしまう。
『猫はきれい好きな動物でいつも毛ヅヤピカピカ』と
無意識に思っていた私にはこの変化は軽い衝撃でした。
グルーミングは偉大だったんだとあらためて認識。

★トイレの粗相が増える
ベガはもう猫砂を使わなくなりました。
今は専らペットシーツを使っています。しかし、粗相が多い…
まだ自力でできるだけマシなのかもしれませんが。
外出時にはケージに閉じ込めることもできますが
本人のメンタルにダメージを与えそうで躊躇しております。
同じような状況にある皆様、どうされているのでしょうか。

他にもいろいろありますが、
一時期は毎晩のように大声で叫んでいたのですが
最近は鳴りをひそめています。
部屋中をうろうろ徘徊するのは相変わらずですね。
そしてお気に入りの毛布を洗ってしまうとムッとして
他の毛布やお布団では寝てくれない><
しかしすぐ粗相をするので私は毎日洗濯に必死という…

猫1匹と言えども、毎月薬代は掛かるし保険もきかない。
体調崩すとアウトなので、とにかく食べてくれるご飯を買い揃え
冬は24~25℃、夏は29~30℃に室温を保っています。
今の、ちょうど柏餅の美味しい時期だけは
エアコンなしで大丈夫なのでホントにありがたい。

22歳の老猫との毎日は、こんな感じです。
まだ今後も変化していきそうなので
備忘記録としてブログでも報告していきます。
posted by masako at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年03月31日

今年の四旬節は…

年度末ですね。3月31日。
個人の確定申告が15日にやっと終わり、
今年は引き続いて調査の立会いがあり、
1月決算の法人の申告がようやく終わって
昨年末からずーっと引き続いていた繁忙期モードが
ほんの少しだけ落ち着いた感じです。
(ただし3週間後にまた締切が来るのですが…)

クリスチャン的には今年は復活祭が早かったのです。
3月27日だからかなーり早い。
そのせいなのか?なんとなく解放感が薄いような。
もちろん日程のせいだけではありません。
今年の四旬節は重かったですね。はい。

理由は、父が健在だったころからずっとお世話になっていた
溝部司教様が帰天されてしまったことが大きいです。
司教様は昨年癌と診断されてから入退院を繰り返され
抗ガン治療を受けておられました。

京都の望洋庵は司教様を慕う多くの方々でいつも賑わっていたので
お見舞は遠慮していたのですが、どうにも心配で電話で直接連絡を取り、
司教様の体調も直前にお伺いしたうえで
母とふたり、思い立って1月9日に京都まで日帰りでお見舞いに行きました。
その日の望洋庵は年始休み明けで、司教様とシスターお二人の他には
福島からいらしたステンドグラス職人のWさんと
やはり急遽大分からいらっしゃったMさんという女性だけで
比較的落ち着いた、静かな状況でした。

司教様のお部屋で皆で一緒に御ミサに与り
その後お昼の食卓を囲みつつゆっくりお話をすることができました。
司教様は私のために、野菜だけの餃子を準備して下さっていて。
家庭的で温かな雰囲気の中で私達はお昼を頂き、皆で語らい、
とてもとても楽しかったです。
間違いなく、あの日に京都に行けたのは神様のお恵みだったのでしょう。

2月に入り司教様が危篤とのうわさが流れました。
直接司教様に会いに病院に行かれた方々から情報を聞き、
何かしたいという思いに駆られて巡礼メンバーに声を掛け、
毎日同じ時間にお祈りをすることにしました。
朝6時、お昼12時、夕方6時、そして夜中の12時。
年齢や健康状態やそれぞれの生活サイクルを優先して
可能な範囲で構わないので一緒に祈って下さいと呼びかけました。
お祈りの言葉を考えて下さる方も現れ、それをまた拡散し、
賛同の輪はどんどん広がっていったのですが…

2月29日午後7時40分。
残念ながら祈りは届かず、溝部司教様は帰天されました。
その直後にウチの方ではなぜか突然大雨が降ったのですが、
あれは(雨男の)司教様がいらっしゃったのでしょうか?

3月2日に京都で行われた仮通夜にまた日帰りで参列。
参列者がとても多く、望洋庵を支える青年たちがとても頑張っていました。
私は入祭の歌「幸せな人」を歌い始めた瞬間から
なぜか涙が止まらなくなり、ずっと泣いていました。
でも、辛かったわけではないのです。
むしろ、司教様は今もいて下さるような気がしています。
そのうち高松にもお墓参りに行くつもりですが
イスラエル巡礼メンバーを誘ってのツアーになるかもしれません。

長くなってしまったので、この辺で。
posted by masako at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年01月05日

新春のお慶びを申し上げます。

前回のブログがまだ待降節でクリスマスで主の降誕、
そして1月3日に主の公現だったので
これでようやくクリスマスの飾り付けを外します^^

昨年末のイスラエルレストランでのわかちあい兼忘年会は
8名(+1名)の参加で賑わいました。
皆でまたイスラエルに巡礼に行きたいと話しつつ、
ピタパンにフムス(ひよこ豆のディップ)や野菜や
ファラフェル(ひよこ豆でできた揚げ物)を挟んで食べます。
ワインやレモネード(生のミント入り)も美味しくて
あっという間に3時間以上が経過。
また次回の再会を約して散会となりました。

カトリックにおいて「ともに食卓を囲む」ことは結構キーポイント。
プロテスタントでは「食卓」よりも「言葉」が重要視されるようです。

また昨年は、待降節からクリスマスにかけて3回行われた
聖歌隊有志によるチャリティコンサートをお手伝いした縁もあって
美声のソプラノ歌手2名と凄腕ピアニスト1名が
元旦の実家の食卓にいらして下さいました。

実家のテーブルは楕円形で、長さが180センチあるので結構大きいのですが
人が集まる時はちょうどいいというかこれでも足りないぐらい。

私は、元旦は毎年和服を着ます。着物は華やかで大好き。
いつも思うのだけど、もっともっと着こなせるようになりたいですね。

どうか2016年が幸せな一年となりますように。
皆様のご多幸、ご健勝をお祈りいたします黒ハート
posted by masako at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記