2016年07月27日

癒し画像

平穏無事を願って…
癒し画像を貼っておきます。

吉祥寺にある井の頭自然文化園の中の動物園の人気スポット、
「モルモットふれあいコーナー」で撮ったもふもふ画像。

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押し寿司みたいなんですけど

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水飲み用のボトルの下に潜り込んでいる白い子がいますよね。
この場所が相当なお気に入りだったらしくて
押されて他の子に場所を取られてしまったのを
かなり強引に奪還していました。

それにしてもみんな艶々の毛ヅヤでした。
そしてもふもふ。

もし伊藤若冲にお願いできるなら
あの精密な筆致で「百犬図」ならぬ
「百モル図」を描いて貰いたい、と思ってしまった…
posted by masako at 08:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月26日

「ペット殺処分ゼロを実現。」という公約。

7月31日(日)は東京都知事選の投票日。
昨日の夕方、地元の駅前で
小池百合子候補が演説するというので
聞きに行ってみました。

ちょうど帰宅時で足を止める人も多かったのですが
終始拍手喝采だった熱心な支持者の方々と比較すると
やや遠巻きに眺めている感もあり、
浮動票がどう動くかはまだ分からないところ。

ところで、小池氏の公約の中で
「ペット殺処分ゼロを実現」という項目がありました。
これ、もし実現できたら凄いことだと思います。
ただ、単純に数字上の話ではなくて
人々の意識が変わることが必要なのですが。

ヒトの少子高齢化と呼応するかのように
ペットたちの高齢化もじわじわと進んでいます。
キャットフードも、昔は「7歳以上」や
せいぜい「10歳以上」でシニア層は一括されていたのに
今では「13歳以上」だの「15歳が近づく頃から」だの
ついには「18歳以上」のフードまで登場しました。
商品化されるということは
市場として成立しているという証拠なので
それだけ長生きしている子達がいて、ニーズがあるということ。

でも、ペット達も老いてしまうと若かった頃とは事情が違ってきます。
痴呆が始まって粗相もするようになって、医療費もかさむようになる。
もしかしたら、可愛いと思えなくなってしまうかもしれない。

それにペット達は必ず飼い主より先に死んでしまう。
私も、ずっと猫が傍にいる人生だったので
いつかは猫が死んでしまうと思っただけで
昔は息が止まるような恐怖感がありました。

ベガを看取ってまだ1ヶ月あまりなので
ある意味、まだ渦中にいるのですが
それでも「エア猫」との生活に自分なりになじんできたし
いつかまたリアル猫と暮らす自分の姿をぼんやりと感じてもいます。

猫だけど、私にとってベガは「家族」だった。
「猫と暮らす」という人生は、最期まで看取って
死のつらさを引き受けることも全部込みなのですね。
そして、辛さに負けずに先に進むということさえも。

正直なところ、今しばらくは動物と暮らすことは
チョット遠慮しておきたいな…という心境です。
看取るって、命って、それだけ重いものだから。

もちろん人によっていろいろな事情があるだろうけれど
終生飼育ができないならば基本的には動物を飼うのはやめた方がいいです。
必ず看取ってあげる覚悟ができないならば、
ロボットやバーチャルペットを可愛がる方がよほどマシだと感じてしまう。
だからこそ『ペット殺処分ゼロを実現』というのは
凄い意識改革の可能性を孕んでいる。
犬や猫ごとき、と思われるかもしれません。
でも「犬」や「猫」は記号的存在で、何かの象徴なのだとしたら。


それにしても今回の都知事選、21人も立候補しているのに
メディアが取り上げているのは小池氏を含む3候補だけですよね。
マック赤坂候補はこの現状を不公平だ!と明言されている様子。
YouTubeで見ただけですが、マック氏いわく、自分が立候補するのは
声を上げることすらできない弱者救済のためなのだそうです。
マックさんの演説は具体的な数字を出して政策を訴えていて
結構分かりやすかったです。
でも、現実の政治手腕はワカラナイなぁー。

都知事選投開票日まであと5日。
posted by masako at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年07月24日

ベジ中華ランチ

先日、久しぶりにランチタイムに池袋の楼蘭に寄りました。
ちょうど12時過ぎぐらいでしたが、それほど混んでいなくて余裕で着席。
テーブルの上に素食用のメニューがなかったのでフト不安を覚えましたが
「ベジタリアンのメニューは?」と聞くとすぐに持ってきてくれました。
ということは、あまり需要はないんですかねぇ…

メニューは5種類で価格帯は800〜900円ぐらい。
以前と比べて大きな変化はないと思います。
麻婆茄子(800円)か青椒肉絲(850円)か迷った挙句、
ピーマンが食べたくて青椒肉絲定食に決めました。
サラダとデザートはセルフサービスです。
サラダというか・・・正確には千切りの生野菜ですけど。
でもシャキシャキしたキャベツは美味しかった。
デザートは、この日はゆずゼリーでした。
ゼリーは多分ゼラチン使用なのでベジ的にはちょっと残念。

食後のコーヒーは別注文で350円となっていました。
(以前はついていたっけ??)

お店の方に「卵は大丈夫?」と聞かれ、最近はオポラクトなのでOKと返答。
画像を見て頂くとわかりますが、スープが卵スープなんですね。
ヴィーガンだったらNGと言えば卵抜きで作ってくれます。
それから、冷奴がつきました。掛かっているのはごま風味のソース。

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注文してからちょっと待たされたので、(当たり前ですが)
ちゃんとベジ対応で料理してくれているのだと思いました。
素食でオーダーしていたのはこの時は私一人だったし。
炒め物なので仕方ないのですが、ちょっとオイリーだったので
カロリーが気になる方は少しご注意下さいね。
逆にがっつり食べたい方にはおススメです。
楼蘭は一時期、ちょっと味が落ちたかな?と思ったこともあったのですが
この日のランチの青椒肉絲はアツアツのプリプリのシャキシャキで美味でした。

今度は麻婆茄子を食べに行こうっと。
posted by masako at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 菜食

2016年07月18日

アナウンスの基本

先日、単発の講座でアナウンスの基本を勉強する機会がありました。
聖書朗読や教会での結婚式の司会、また公演でのアナウンスなど
頼まれることもあり、ちゃんとブラッシュアップしておきたい・・・
という気持があったので、思い切って受講してみました。

いや〜面白かったです!
参加者は中学生からプロで仕事をされている方まで多種多様。
人の読みを聞いていると客観的によく判る。
講師の先生の指摘はもちろん個人のレベルに合わせてでしたが
具体的なダメ出しをバシバシ貰えてありがたかったです。
ためになる気づきがたくさんありました。
そして声(というか喋り)にはその人の人柄がありありとにじみ出ます。
いろいろな声質の人がいて、みんなそれぞれ良さがあった。
グループレッスンの面白さを感じましたね。
ちょっとスクールにも通ってみようかな・・・と真面目に検討中です。

ちなみに勧めてくれたのは朗読を続けているうちの母。
母は今年も秋に朗読仲間の方々と
小さな発表会を企画していて現在鋭意リハーサル中。
案外、楽しみに毎回聴きに来て下さる方々もいて
朗読は人気だなーと思います。特に女性が多い。
私もスタッフとして参加するので、楽しみたいと思っています。
posted by masako at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 学びの途中

2016年07月11日

ブルックリン

先日、映画館で「ブルックリン」を見てきました。
私にとっては「つぐない」の名子役だった、
シアーシャ・ローナンの存在感がピカイチの作品です。

ロクな仕事にもありつけず、未来に希望が持てない
アイルランドの故郷での生活に見切りをつけ
単身アメリカに渡るエイリシュ。
それは、妹思いの優しく美しい姉・ローズが
教会の神父様のツテを頼って
住む場所も、仕事も見つけてくれたから
実現したものでした。
離れてからも姉妹は頻繁に手紙をやり取りし
お互いを思いやります。
おそらく姉は、自分も本当は
広い世界に出てみたかったのでしょう。
それをエイリシュに託したのではないかと。

エイリシュはブルックリンにある賄い付きの女子寮に住み、
昼間はデパートで働き始めました。
しかしいきなり極度のホームシックに掛かり、
カフェでは訛りをからかわれ、
故郷を思い出して泣いてばかりで
接客中なのに笑顔も作れない。

そんな彼女を見かねて神父様が
夜間に簿記を学ぶことを薦めてくれます。
通ってみたら、案外授業は楽しいし学ぶ喜びもある。
エイリシュはめきめきと頭角を現していきます。
デパートの同僚や上司、女子寮の先輩達も
実はみんな親切で優しいし(おまけに美人ばかり!)、
エイリシュは周囲に助けられて
新天地での生活になじんでいきます。

そしてダンスパーティーで声を掛けてきた
イタリア系の移民、配管工のトニーとつき合い始めます。
トニーも単なるチャラ男かと思いきやまじめに仕事もしているし
彼の両親や兄弟も仲良し。将来の夢や展望もある。

恋人ができてからのエイリシュの表情は
まさしく「内面からにじみ出る輝き」にあふれ、
ナチュラルな笑顔が本当に素敵でした。
シアーシャ・ローナン、アカデミー賞の
主演女優賞にノミネートされていたんですよね。
「ルーム」を見ていないので何とも言えませんが、
まあ、彼女がオスカーを手にするのも時間の問題でしょうね。

ここからネタバレします。










総合評価としては「良かった」映画なのですが、
「清々しさ」を感じたと同時に思い切り「物足りなさ」も感じました。

移民として生きる選択をした女性の強さを描きたかったのだとすれば
かつてのアルバイト先の意地悪な商店主、ミス・ケリーの脅しで目が覚めて
ブルックリンに帰ることを決意した(ように見える)のはちょっと興ざめ。
本当は、トニーからの手紙で決意してほしかったのだけど
肝心のトニーとの恋愛も、初期のホットな時期に勢いで結婚した感があって
あまり深いものには思えず。

いわんや、アイルランドに帰ってから既婚であることを隠して
御曹司のジムとつきあい始めるくだりは棚ボタというか都合が良すぎる話で、
エイリシュに愛情があるようにはとても見えなかったのです。

ただ、シアーシャ・ローナン演じるエイシリュの瑞々しい表情の変化、
アイルランドカラーを意識したカラフルな衣装の着こなし、
少しぽっちゃりとしたボディラインもむしろ品があってチャーミングで
とても嵌り役だったと思います。
50年代のアメリカを随所に感じさせる映像もとても美しく、
映画館のスクリーンで見る価値はアリ。


ラストシーン、ブルックリンの街角で再会し
笑顔で抱き合うトニーとエイリシュ。
本当は、ここから始まる2人のストーリーを見たかった!
posted by masako at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 見てきました。

2016年07月08日

屋根の上の猫さん

昨日、通りを歩いていて
フト視線を感じると
民家の屋根の上に三毛猫が。
立ち去り際のカメラ目線をキャッチ。

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posted by masako at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年07月06日

出張してくれる。

しつこいようですがまたベガの話。

違和感、喪失感は相変わらずですが
自分としては「いるんだけど、見えない」という理解です。
エア猫だけに。

何かの瞬間にふっと涙ぐむことはまだあるけれど
幸いなことに仕事は相変わらず忙しく、
どんどん片付けないとどうしようもないので
表面的には以前と変わらない生活を送っています。

ただ、無意識の奥底にダメージが
入ってしまったのは確かなので・・・
壊れないように防衛本能が働いているんだろうな、
とは感じるところ。

さて、今回のタイトルの意味するところは、
ペットの葬儀についてです。
最初は実家の敷地内に土葬しようと思っていたのですが
土を掘ってみたらすぐ配管にあたって
あまり深く掘れませんでした。
これではちょっと・・・と思い急遽火葬に変更。

ちなみにベガの前に飼っていた猫も火葬にして、
当時の玄関横の柿の木の根元に埋めてやりました。
その子は、その柿の木に登るのが大好きだったので。

その時(22年前)は確か火葬場まで連れて行って
お骨上げをして帰宅したような。
あるいはお骨だけ後で送って貰ったのか・・・
ちょっと記憶が定かではありません。

今は火葬車が出張もしてくれるのですね。
ネットで調べて依頼して、業者さんに来てもらいました。

ベガは最後の体重は1キロちょっとだったので
待ち時間は小一時間程度でした。
ちょうど夕方で、きれいな夕暮れ空に見守られつつ
彼女は天に昇ったようです。

母とふたりでお骨上げをしましたが、
あんなに痩せてガリガリだったのにベガの骨は結構太かった。
ちょっと標本みたいな感じでシッカリしていて、
色は真っ白でした。

そして今は生前よりもさらに小さくなって
実家のマリア様の御像の横で
ちょこんとおとなしくしています。

今月末に埋めて、土に帰してやる予定。
植栽をしたら、きれいな花が咲くかな。
posted by masako at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年07月05日

ペットサークルはスグレモノだった

ベガの話題を続けます。

とにかく粗相がひどくなって
部屋を毎日よごされてしまうので、
ケージに入れようか悩んでいました。
でも、あれはほとんど『檻』ですよね・・・
どうにも可哀想で断念していたのですが、
「ペットサークル」というスグレモノがあることに気づき
本当にぎりぎりになってしまったのですがネットで購入。
うちに届いたのは6月18日の土曜日の朝でした。

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こんな感じで、柔らかいし軽いし
特大サイズを選んだので
中で私も一緒に寝転がれるほどです。
使わない時には畳めばコンパクトになります。
 
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この時はまだ、自力で歩いてご飯を食べることができたベガ。
広さもあり、閉塞感もあまりないので安心した様子でした。

もう少し早く気づいてあげたら、
きっと私がいらいらするのも減っていたと思う。
ごめんね、ベガちゃん。
posted by masako at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) |

2016年07月04日

覚悟はしていたけれど、やっぱり、別れは突然でした。

あれからもう2週間が経ちます。

愛猫ベガは、2016年6月20日午前7時24分に
やすらかに天国に旅立ちました。
享年22歳、人間だったら100歳越えの大往生。
生後半年で拾ったので
私は彼女と21年半にわたって
生活を共にしてきました。

17日の金曜日の晩に仕事から戻ってみたら
ご飯を食べておらず、様子がおかしかったのです。
抱っこして撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らしますが
なんだか元気がありません。
翌朝、少しご飯は食べてくれたけれど
やっぱりクタッとしてしまう。
病院に電話して状況を説明し
連れて行って点滴を打ってもらいました。
この時の体重は、僅か1.14キロ。
その半月前は1.4キロだったので、
あまりの急激な減少はさすがにショックでした。

もう危ないかもしれないと思った私は
徒歩ですぐの距離にある実家にベガを連れて行きました。
亡くなる前日、日曜日の午後のことです。
ペットサークルの中に入れてやり、様子を見ていましたが
やはりぐったりして寝てばかりいます。
でも、スプーンですくって鼻先に流動食を持っていくと
私の手を噛みつかんばかりの勢いで食べてくれました。
そしてそうやって食べさせていたら、1袋を完食してくれたのです。
もしかしたら元気になってくれるかも・・・と
その時私は本気でそう思いました。

でも、翌20日の朝が来てしまいました。
前日の晩は実家の部屋で一緒に眠り、
翌朝6時過ぎにちょっと自宅に戻った数十分の間に
ベガは行ってしまったのです。
月曜日の朝だったから、仕事に差し支えないように
就業前にと気を使ってくれたのでしょうか。
私がショックを受けないように、出掛けるのを見計らったのでしょうか。
「ちょっと行ってくるからいい子にしていてね」と
いつものように声を掛けて撫でてやったのが最後の別れでした。

幸い、母が傍についていてくれたので
最期の様子は聞くことができました。
とつぜん四肢をきゅうーーーっと伸ばして
首をゆっくりと反らした後に
頭がかくんと落ちて
フッと静かに息を引き取ったそうです。
苦しむことはなかったので、老衰だったと思います。

3年前のクリスマス頃から、もう年齢的に
何があってもおかしくないとずっと言われながら
2年半頑張り続けてくれたベガ。
ここ1年程は老化の進みがさらに早まり、
攻撃的になってひどく噛みつかれたり、
グルーミングをしなくなったり、
排泄のたびに粗相を繰り返したり、
問題行動がどんどん重なって
私も頭にきてベガを責めたり叩いてしまったり。
あの子を責めるべきではなかったな、と今は思います。
自分の心に余裕がなかったことが原因だったのに。

それでもベガは毎日ご飯を催促し、
よく食べてくれたし、お薬もちゃんと飲んでくれた。
私の帰りが遅いと不安だったようで部屋が散らかっていて、
帰宅すると安心した顔で出迎えてくれた。

毎月の病院通いや毎日の投薬、朝昼晩の給餌、
そして日に何度も汚れた床を掃除し、洗濯をし、
傲慢にも私は彼女の「面倒を見てやってる」と思っていました。
ところが、ベガがいなくなった今、私はイヤというほど
思い知らされることになりました。
実は、私の方がベガに支えられていたんだと・・・。
はかりしれない喪失感の中で、
私は一人きりの部屋で
こみあげてくる嗚咽を押さえきれませんでした。

でも、それでも生活は続く。

22年ぶりにリアル猫がいない生活が始まり
なんだか違和感が消えませんが
ベガの世話をしていたはずの時間に
さらに仕事をしてしまうので
忙しさが何ら緩和されないことだけはよく判りました。

一方、いまや時間と空間の制約から解放されたベガは
身軽なエア猫になり、どこに行くにもついてきて
私の周りを元気に飛び跳ねています(たぶん)。

しばらくはあえてこの違和感と向き合って
今までスルーしてきたこともちゃんと見つめながら
自分の人生を考えたいとおもっています。
ベガが、私にそういう時間をくれたんだと思う。

だから、もう少し、猫についての考察は
ブログでも続く予定です。
posted by masako at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) |