年度末ですね。3月31日。
個人の確定申告が15日にやっと終わり、
今年は引き続いて調査の立会いがあり、
1月決算の法人の申告がようやく終わって
昨年末からずーっと引き続いていた繁忙期モードが
ほんの少しだけ落ち着いた感じです。
(ただし3週間後にまた締切が来るのですが…)
クリスチャン的には今年は復活祭が早かったのです。
3月27日だからかなーり早い。
そのせいなのか?なんとなく解放感が薄いような。
もちろん日程のせいだけではありません。
今年の四旬節は重かったですね。はい。
理由は、父が健在だったころからずっとお世話になっていた
溝部司教様が帰天されてしまったことが大きいです。
司教様は昨年癌と診断されてから入退院を繰り返され
抗ガン治療を受けておられました。
京都の望洋庵は司教様を慕う多くの方々でいつも賑わっていたので
お見舞は遠慮していたのですが、どうにも心配で電話で直接連絡を取り、
司教様の体調も直前にお伺いしたうえで
母とふたり、思い立って1月9日に京都まで日帰りでお見舞いに行きました。
その日の望洋庵は年始休み明けで、司教様とシスターお二人の他には
福島からいらしたステンドグラス職人のWさんと
やはり急遽大分からいらっしゃったMさんという女性だけで
比較的落ち着いた、静かな状況でした。
司教様のお部屋で皆で一緒に御ミサに与り
その後お昼の食卓を囲みつつゆっくりお話をすることができました。
司教様は私のために、野菜だけの餃子を準備して下さっていて。
家庭的で温かな雰囲気の中で私達はお昼を頂き、皆で語らい、
とてもとても楽しかったです。
間違いなく、あの日に京都に行けたのは神様のお恵みだったのでしょう。
2月に入り司教様が危篤とのうわさが流れました。
直接司教様に会いに病院に行かれた方々から情報を聞き、
何かしたいという思いに駆られて巡礼メンバーに声を掛け、
毎日同じ時間にお祈りをすることにしました。
朝6時、お昼12時、夕方6時、そして夜中の12時。
年齢や健康状態やそれぞれの生活サイクルを優先して
可能な範囲で構わないので一緒に祈って下さいと呼びかけました。
お祈りの言葉を考えて下さる方も現れ、それをまた拡散し、
賛同の輪はどんどん広がっていったのですが…
2月29日午後7時40分。
残念ながら祈りは届かず、溝部司教様は帰天されました。
その直後にウチの方ではなぜか突然大雨が降ったのですが、
あれは(雨男の)司教様がいらっしゃったのでしょうか?
3月2日に京都で行われた仮通夜にまた日帰りで参列。
参列者がとても多く、望洋庵を支える青年たちがとても頑張っていました。
私は入祭の歌「幸せな人」を歌い始めた瞬間から
なぜか涙が止まらなくなり、ずっと泣いていました。
でも、辛かったわけではないのです。
むしろ、司教様は今もいて下さるような気がしています。
そのうち高松にもお墓参りに行くつもりですが
イスラエル巡礼メンバーを誘ってのツアーになるかもしれません。
長くなってしまったので、この辺で。